第6話 (そして三人が集った)
  1980(昭和55)年の春、雀楓会の面々は高校二年生となりました。彼等の通っていた高校では毎年クラス替えがあったのですが、二年次は芸術選択科目によるクラス編成でした。当時吹奏楽部だった彼等は迷うことなく音楽を選んだのですが、集ってみるとクラスの男子12人中吹奏楽部の部員が6人、吹奏楽部ではないが麻雀をするのに楠本邸に出入りしていた者や、後に文化祭でライブをするため楽器を持つ者も合わせれば、クラスの男子のほとんどが雀楓会に何らかの関わりを持っておりました。
  現在の雀楓会の三人が同じクラスになったことはいうまでもありませんが、当時は現在の三人ではなく、「分家」君、山本君、楠本君がひとくくりにされて、おじゃまんがトリオと呼ばれておりました。その他にも「ぜにや」君、山本君、楠本君の三人でその後独楓会を結成したりと、どちらかというとカッコワルイ組に属しておりました。一方、福島君といえば「本家」君、「いか〜チャン」とともにカッコイイ組に属していたといえますが、徒党を組むわけではなく一匹狼というイメージがありました。
  こんなメンバーが一堂に会してしまったのですから、そのような環境で勉学に集中できるわけもなく、まじめに授業を受けていた「本家」君、「いか〜チャン」を除いて、雀楓会の面々は学業の成績がズルズルと落ちていったのでありました。特におじゃまんがトリオと呼ばれていた三人の足の引っぱり合いはドロ沼状態を極め、その堕落ぶりは散々たるものでした。その足の引っ張り合いの中で生まれたのが、山本君の「1ポイントリード」という名言ですが、楠本君は今だに1ポイントリードされたままです。 >>参考資料はこちら

【登場人物の紹介】
「分家」 雀楓会には同じ田中姓が二人いたのだが、カッコ悪い方が分家ということで決まってしまった。香芝に住んでいたので、上牧の山本君、王寺の福島君・楠本君との地元をコキ下ろす言い争いが絶えなかった。
「本家」 同じ田中でもカッコイイということで本家と呼ばれることに。普段は物静かなオトコマエなのだが、雀楓会などで夜中に遊んでいると態度がヒョウ変するので仲間内では恐れられていた。とくに福島君が...
「いか〜チャン」 これまたカッコイイ組の代表選手。しかし外見とはうって変わって中身は超がつく天然ボケ体質である。それでも女生徒たちからは「いか〜坊」と呼ばれモテまくっていた。
「ぜにや」 帰宅部でウエイターのバイトをしていたが、「いか〜チャン」の影響で雀楓会へ出入りすることに。女性に縁のない輩が集って結成した独楓会の創設メンバーでもある。